名称 | 逆瀬川の砂防設備(参考;床固工群) |
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よみがな | さかせがわのさぼうせつび |
都道府県1 | 兵庫県 |
市区町村1 | 宝塚市 |
都道府県2 | |
市区町村2 | |
マップ |
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緯度・経度 |
34.794617,135.346114 |
路線名称等 | 逆瀬川 |
種別 | |
形式 | 練積C堰堤 |
諸元(規模等) | 全長約2km(27基) |
材料・構造等 | |
着工年(西暦) | |
着工年(和暦) | |
完成年(西暦) | 1934 |
完成年(和暦) | 昭和 9 |
文化財指定等 | |
選奨土木遺産認定 | |
備考 | 逆瀬川も治水対策については明治24年はじめて県会でとりあげられたが、災害復旧土木費に多額の費用を要するということでそのままになっていました。しかし、翌25年7月の大水害で県下の大半が被害を受けたため、この惨状をみた飯田県会議長は知事に「治水の術はいかに流水を規制し堤防を修築してもその根本を治めなければ徒労に終わり、多額の県費を投じても浪費に帰するおそれがある」と建議を行いました。ここに知事は明治26年10月、郡長に対し河川の水源調査を訓令し、武庫川水系をはじめ8水系の調査がなされて、砂防工事を早急に行う必要のあることが認識されました。ところが、砂防計画策定に当たり県には砂防技術者がいなかったため、明治27年5月内務省土木監督署技手・横田金平ほか1名が県に招かれ、3ヶ月の調査の後、総額147,280円の砂防計画が提出されました。県はこの計画に基づき翌28年緊急を要する逆瀬川流域および夢前川流域の水源においてはじめての砂防工事(山腹筋芝工、えん堤工)をスタートさせたのです。もちろん県営事業であり初年度の予算はわずか5,383円でしたが、明治29年の河川法および同30年の砂防法の公布に先立つものであり、また災害の応急措置でなく河川の洪水防御のための投資的工事の先駆となりました。明治30年、砂防法が制定されるとともに、本県でも武庫川流域の良元村(現宝塚市)はじめ5ヶ村が31年8月砂防指定地にはじめて指定されました。同時に兵庫県令第65号をもって指定地管理の端緒をひらきました。翌32年から砂防工事に対し国庫補助がなされることになり、逆瀬川でも同年、国庫補助による砂防工事がスタートしました。この砂防工事を担当するため武庫郡良元村小林の逆瀬川右岸に事務所がおかれ、「良元砂防工営所」と呼ばれました。ここでは、逆瀬川のみならず今後、県下のすべての砂防工事が計画策定され県庁河港課の決裁を受けて実施されることになりました。明治35年には通常県会郡部会において「ニ十五ヵ年継続事業ニテ、治水・砂防工事費ヲ可決」され、第1次継続事業(明治36年~大正3年)、第2次継続事業(大正4年~昭和7年)によって逆瀬川の砂防工事は着々と進みました。 設計:赤木正雄/頂部に白石飾り(六甲砂防の特徴)/鎧積ではない 名称修正(参考) |