名称 | 龍之渡井 |
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よみがな | たつのとい |
都道府県1 | 和歌山県 |
市区町村1 | 伊都郡かつらぎ町 |
都道府県2 | |
市区町村2 | |
マップ |
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緯度・経度 |
34.283052,135.448261 |
路線名称等 | 小田井水路/穴伏川(旧四十八瀬川) |
種別 | 橋(水路用) |
形式 | 煉瓦(三和土混合)アーチ |
諸元(規模等) | 長21.0m,S21.0m(A) |
材料・構造等 | 煉瓦アーチ |
着工年(西暦) | 1918 |
着工年(和暦) | 大正7年12月9日 |
完成年(西暦) | 1919 |
完成年(和暦) | 大正8年4月21日 |
文化財指定等 | 選奨土木遺産(H18年[2006]龍之渡井)/登録有形文化財(2005) |
選奨土木遺産認定 | 2006 |
備考 | 初代龍之渡井:工事は三期に分けられ、龍之渡井は川幅18mの四十八番瀬川に用水路を渡すに当たって自然の岩石を利用し支柱を設けない構造となった。「紀ノ川(紀州)流」と呼ばれる工法(用排水分離型の水路)は、関東平野見沼代用水(1727)の開削など各地の治水工事で採用され、現在の河川技術にも引き継がれているという。この事業において才蔵は特殊な工法を用いた。それは、工区を分け、各工区ごとに必要な資材、堀、築の土量等を算出し、また必要な人数までも細かく計算し、各工区ごとに同時に着工するというものであり、施工期間を著しく短くした。当時としては、画期的方法であると高く評価され、称賛された。実際、第一期工事では、工区を23に分けて、5000分の1の勾配で用水路を作り、10万人を使役して、19キロをわずか140日(1707年5月13日~12月20日)で作ってしまったのである。作業は、各工区域の村民が携わった。 5月1日~30日までは苗代用水として、6月1日~9月30日まで稲作用の本通水を行っており、今も現役として農業用水路としての役割を果たし、地域住民へ水を提供し田畑を支えている。10月20日~3月20日までは、冬期通水を行っている。この水には2つの役割があり、1つは地域の防火用水で、もう一つは集落環境用水である。つまり、龍之渡井には古くからある地域住宅の生活排水、洗濯排水といた汚水が流れ込んでくるため、そういった汚水を除去する役割を持っている。現在は、国営事業による用水路補修が行われている影響で、冬期通水は行われていない(2005年12月)。昔は、水の流れが現在よりもきれいで、うなぎやフナ、小魚も住んでいたようで魚釣りをしたりと、子供の遊び場にもなっていたようだ。また、橋の上は通ることができるので、家が近い人は、地元高校へのルートとして使うこともあり、生活ルートとしての役割も果たしている。 三和土=漏水防止/3段に迫り出したアーチ環,スパンドレルは谷積石,水路部は再び煉瓦壁/中央に立派な題額 |