心斎橋駅舎他,御堂筋線の地下駅群

 

名称心斎橋駅舎他,御堂筋線の地下駅群
よみがなしんさいばし
都道府県1大阪府
市区町村1大阪市中央区
都道府県2 
市区町村2 
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緯度・経度 34.674310,135.500304
路線名称等地下鉄御堂筋線(大阪市営)心斎橋、淀屋橋、梅田
種別建屋(鉄道用)
形式地下駅(ヴォールト天井)
諸元(規模等)
材料・構造等
着工年(西暦)1929
着工年(和暦)昭和4年6月
完成年(西暦)1933
完成年(和暦)昭和8年5月20日(梅田仮停車場~心斎橋間)
文化財指定等
選奨土木遺産認定2008
備考地下鉄御堂筋線は、堂島川、土佐堀川、長堀川を横断するため、軟弱地盤、大量の地下水の上に河底隧道(潜かん工法)による難工事となった。堂島川、土佐堀川では川幅の半分ずつを締め切って双方のトンネルを河の中央で連絡した。長堀川では川を全部締め切って工事を進めた。これらの隧道工事を行う上で、丹那トンネル(箱根)を視察し、地下水の多さに関しては問題ないと判断した。また関東大震災(1923)後の様子を視察した結果、地下式のほうがより望ましいという判断になった。梅田、淀屋橋、心斎橋の各停車場では、地下鉄駅に広大な虚空間を造るためにアーチ型の島式が採用された。その結果、天井が高く取られており、島式の乗降場には柱がなく利用しやすくなっており、いずれの停車場も中階式として、中階と乗降場間にはエスカレーターが設置された。このアーチ空間がとらえた背景として、構造的な要求よりもむしろデザイン的な意図によって考案されたのではないかと考えられている。なお、このアーチ型構造物はボックス型に比べて2倍の建設費がかかったようである。昭和2年に開業した東京の地下鉄よりもすばらしいものを造ろうと、設計の幹部は毎年交代で海外視察にでかけ、最新の知識と情報を集めていた。その影響を受け、このような壮大なアーチ構造を採用したものと思われる。これらは当時の第7代市長関一の「世界に恥じないものを造れ」というバックアップがあったことも大きく関係している。アーチ構造であったため、照明デザインに力が注がれていたようである。当時の照明器具(吊り下げられたシャンデリア)からは、大正末期から昭和初期にかけて日本でも花開いたアールデコデザインの影響がみられる。乗降場の側壁には、当時停留場を識別しやすくするためにタイルの色を変えていた。以上のように、技術的な側面だけでなく、乗降場の空間形状、照明器具、壁の色彩にこだわりを持った作りとなっている。ターンスタイル式の自動改札機を梅田仮停留場地上改札口に設置。地下鉄の建設と同時に初代梅田変電所開設。
日本で2番目の地下鉄=私鉄の市街地地下路線(京都)を入れれば3番目/半楕円アーチ状の高い天井広いプラットホーム=東京の地下鉄にない開放感(心斎橋が最もオリジナルの雰囲気)

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