淀屋橋

 

名称淀屋橋
よみがなよどやばし
都道府県1大阪府
市区町村1大阪市北区
都道府県2 
市区町村2 
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緯度・経度 34.693018,135.501065
路線名称等国道25号
種別橋(道路用)
形式3径間鉄筋コンクリートアーチ橋
諸元(規模等)橋長53.5m 幅員36.5m
材料・構造等RCアーチ
着工年(西暦)
着工年(和暦)
完成年(西暦)1935
完成年(和暦)昭和10
文化財指定等選奨土木遺産(H12年[2000]大川・中之島の橋梁群)
選奨土木遺産認定2000
備考明治18年の大洪水からの再建において、淀屋橋は、鉄製杭橋脚になったが、その時の形式は、パイルベント方式で、スクリューパイルというものが用いられた。スクリューパイルは、現在ではもう見られないが、先端にらせん状の歯がついた鋳鉄製または、錬鉄製の杭で、地中に埋め込むには、四方から水平方向に腕木を取り付け、人力で回転させることによってねじ込んでいったものである。大正10年に始まった第一次都市計画事業は現在の大阪の基礎を造った。中でも御堂筋の建設はその根幹をなすものであった。御堂筋に通じ、市庁舎をはさんで大川に架かる淀屋橋、大江橋の両橋の設計に際し、意匠面に力が注がれたのは当然である。当時大阪市には、橋梁技術者が多くいたが、あえて意匠設計は、一般公募によるコンペでデザインが決まることになった。その理由として、これまでの橋梁設計は橋梁技術者が担当していたため、どうしても構造中心の設計になっていた。この傾向は橋のデザインの画一化を引き起こす可能性があったため、その防御策として、素人のよるデザイン募集という形になったようである。公募内容は以下のようであった。二橋とも幅員二十間(36.4メートル)とし、橋長は淀屋橋が三十間(54.5メートル)、大江橋が四十五間(81.8メートル)、主構造は鉄骨鉄筋コンクリートアーチとする。二橋は同一の形式とし、付近の建築物および背景と調和し、両橋間の道路意匠もあわせて設計することを条件としている。応募総数62通の中から選ばれた作品は、大谷龍雄さんの「龍=南欧中世紀風」で、賞金千円を獲得した。しかし、原案に設計されていた橋脚上の橋頭堡は省略された。
地下鉄御堂筋線のトンネルに荷重をかけないように工夫された基礎工/戦前では極めて珍しいデザインの一般公募の一等入選作/高欄のアーケード風開口部から連続する充腹部の縦縞/橋灯: 擬和風
参考資料(1)

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