名称 | 三国港 エッセル堤 |
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よみがな | みくにこう えっせるてい |
都道府県1 | 福井県 |
市区町村1 | 坂井郡三国町 |
都道府県2 | |
市区町村2 | |
マップ |
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緯度・経度 |
36.220293,136.132370 |
路線名称等 | 三国湊→阪井港(明治4年) →三国港(明治22年)→福井港(昭和46年~) |
種別 | 提港湾 |
形式 | 石防波堤(空積) |
諸元(規模等) | 長515m,幅9m |
材料・構造等 | |
着工年(西暦) | 1878 |
着工年(和暦) | 明治11年5月 |
完成年(西暦) | 1882 |
完成年(和暦) | 明治15年11月(竣工)、明治13年12月(一部竣工),明治13 |
文化財指定等 | 選奨土木遺産(H16年[2004]三国港エッセル提)/重要文化財(建造物)・その他近代(2003) |
選奨土木遺産認定 | 2004 |
備考 | この構造物は、防波堤の法線を弧状形状とすることで、港への漂砂と波浪の防御機能(防波堤)と、九頭竜川の流速を維持しつつ河口に吐出される土砂を海に押し流す機能(導流堤)を併せ持つ。エッセルの設計理論は、洪水から逃れるには河道をできるだけ直線的な法線とする連続堤防を築き、河口には沖合の深いところまで導流堤を伸ばすというもので、ちょうどジェット噴流のように水の力で土砂を海の深いところまで押しだそうという発想だった。使用された工法は、よろい留、かきあげ留、逆松留、石垣留、雑木苗植え込み、まきわら工などの江戸末期までの砂防に関わる国内の伝統工法と、オランダの自然素材を用いた「粗朶沈床」(そだちんしょう)工法が合体したものである。粗朶沈床工法とは、粗朶(クヌギやナラ等の若葉を束ねたもの)をかご状に組んで、その中に石を入れ沈めて基礎を造り、波や水流による洗掘を防止するもので、明治中期まで我が国の砂防工事の主流であった。直接石を沈める方法よりも波の影響を受けにくく、安定した構造になる。エッセル堤では、粗朶沈床は先端に向かい広くなっており、場所によって5層積まれている。粗朶沈床工法は、すでに淀川の改修工事で採用されていたものであるが、港湾への適用に際しては、フナクイムシが粗朶に及ぼす害に備えて、突堤の海側では沈床の表層に葦を用いている。水深に応じて層状に重ねられた粗朶沈床に杭を打ち込み、その上部には三国町安島及び雄島で採石された安山岩を用いており、さらに石積法面全体に、径1m大の巨石を据え、躯体を保護している。突堤の施工に関しては、デレーケのほかに、オランダ人のデフォスアルンスト、内務省の宮内行廣、宮部美勲などが関与している。 明治15年(1882)に移管後、波浪などの影響により継続的に追加工事を実施したため、明治18年(1885)を完成年とする説もあるが、明治15年(1882)を竣工年として今後は統一するとのこと(みくに龍翔館に問い合わせ)明治23年以降、県事業として捨石補充工事などを実施。福井地震発生後の昭和25年頃に、コンクリート嵩上げ工事を実施。昭和39年から昭和45年には、コンクリートブロック設置と突堤海側の嵩上げを実施。これにより、現在は927mの長さをもつ。 これまで何度か冬季高波浪により被災をうけたが、その度改修されて昔と変わらない巨石による被覆、緩やかな曲線美を誇っている。 今回の重要文化財の指定を契機に地元では、港やエッセル堤の顕彰活動の機運が盛り上がっており、今秋にもイベントが企画されている。平成16年9月25日(土)から11月23日(水)に渡って、みくに龍翔館にて、福井県三国町主催、国土交通省、福井県等の後援協力のもと、明治三大築港展が開催される。このイベントでは、エッセル堤の仕組み、歴史、今後の活躍等についての理解を深める事ができる。三国町においては、エッセル堤を核としたみなとまちづくりを推進することとしており、観光資源として景観資源として活用することとしている。2004年4月に「三国港突堤ファンクラブ」が地元有志を中心に結成され(会員43人)、今後、歴史学習や活用策の検討を行うこととしている。 エッセル、デレーケ/野蒜三角と並ぶ明治初期の三大港湾事業の一つ/長大な石防波堤 |