名称 | 柳ヶ瀬隧道 |
---|---|
よみがな | やながせずいどう |
都道府県1 | 福井県 |
市区町村1 | 敦賀市 |
都道府県2 | |
市区町村2 | |
マップ |
地図を表示 » 地図を表示(近隣も含む) » |
緯度・経度 |
35.604175,136.172177 |
路線名称等 | 県道柳ヶ瀬線<旧北陸線>、北国街道 |
種別 | |
形式 | 煉瓦トンネル(石ポータル) |
諸元(規模等) | 長1351.80m,幅3.5m |
材料・構造等 | |
着工年(西暦) | 1880 |
着工年(和暦) | 明治13年6月 |
完成年(西暦) | 1884 |
完成年(和暦) | 明治17年4月,明治17→道路化 |
文化財指定等 | 選奨土木遺産(H15年[2003]柳ヶ瀬隧道) |
選奨土木遺産認定 | 2003 |
備考 | この工事は、先の逢坂山隧道と同様に、トンネル断面の上部に導抗を設けながら作業を進める素堀り工法(頂設導抗式)で、1880年(明治13年)6月に起工した。幅4.27m、高さ4.72mの断面上部は、煉瓦を使ったアーチ形状となっており、側壁部には粗角石が積まれている。作業は1日3交代制、場合によっては4交代制で進められ、掘削速度は一日1m~1.5mであった。掘削を進めると、それまで経験したことのない換気問題に直面する。掘削面を照らすたいまつの火がつかない程に、導抗内の空気が悪化していたのである。そこで、隧道近くの渓流から水を引き、水車と木製の管によって導抗に空気を送り込むことを試みたが、十分ではなかった。そこで、2つの円錐形の木桶を用いた、送排気管のある新たな換気装置を作成した。この換気装置によって約1/3程度まで掘り進むことができたが、それでも十分ではなかった。最終的には、鉄道局技師E. G. Holthamのデザインした空気圧縮機とタービンを、B. F. Wright等の監督のもとで、神戸鉄道局に所属する日本人技術者が製作し、現地で組み立てて使用した。この最新技術によって換気問題を克服し、柳ヶ瀬隧道は1883年(明治16年)11月に貫通したのである。実に4年弱を費やす大工事であった。 昭和32年には、新線の開通とともに柳ヶ瀬線になり、昭和39年に廃線となった。その後しばらくは国鉄バス専用路線となっていたものの、現在では、自動車用道路として交互通行できる。 トンネル入口(刀根方)を撮影した場所からやや右後方に選奨土木遺産認定プレートが設置してある。プレートだけでなく、トンネルの意義も解説してある。 施工: 藤田伝三郎/現存する3番目に古い鉄道トンネル(使用中のものでは2番目)/鉄道→道路に転用されたトンネルとして最長/はじめてダイナマイト、削岩機、コンプレッサー、換気用タービンを使用/三角測量実施 名称を選奨土木遺産に修正 |