名称 | 竹野川橋りょう・田君川橋りょう |
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よみがな | たけのがわきょうりょう・たぎみがわきょうりょう |
都道府県1 | 兵庫県 |
市区町村1 | 豊岡市 |
都道府県2 | |
市区町村2 | |
マップ |
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緯度・経度 |
35.630644,134.757846 |
路線名称等 | JR山陰本線/竹野川、JR山陰本線/田君川 |
種別 | |
形式 | 鋼ラチス桁(上路)、竹野川橋りょう全5連中4連目、田君川橋りょう全2連中1連目 |
諸元(規模等) | 竹野川橋りょうL=19.15m,W=19.411t(全L=101.2m)、田君川橋りょうL=19.152m,W=19.445t(全L=38.4m) |
材料・構造等 | |
着工年(西暦) | |
着工年(和暦) | |
完成年(西暦) | 竹野川橋りょう:1911(ラチス桁部分は1920)、田君川橋りょう:1912(ラチス桁部分は1922) |
完成年(和暦) | 竹野川橋りょう:明治44(ラチス桁部分は大正9)、田君川橋りょう:明治45(ラチス桁部分は大正11) |
文化財指定等 | |
選奨土木遺産認定 | 2017 |
備考 | ラチスとは「格子」の意味で、アングルを45度の角度で交差させて組まれている。小型の部材を力学的に組み合わせて強度を持たせる構造であり、中央に行くほどアングルの間隔を狭くして強度を高める工夫がされている。 竹野川橋りょうは、明治44(1911)年、国鉄山陰東線開通時に上路プレートガーダーとして架設。大正7(1918)年7月の大洪水で堤防が決壊し、終点側2連が流出した。川幅を広げ2年後に架け替えされることになったが、当時は大型の鉄製品が造れず、第1次世界大戦の影響を受けて、大型鋼板の輸入が非常に困難となったため、プレートガーダーの腹板の代わりにアングルをリベットで繋ぎ合わせた「ラチス桁」が採用され、大正9(1920)年に架設された。 田君川橋りょうは、明治45(1912)年、この区間の開通時に上路プレートガーダーとして架設。大正11(1922)年の径間拡張工事により、単径間から2径間となり、ラチス桁として増設された。 昭和29(1954)年当時に50連あったとされるラチス桁であるが、その後の列車の重量化、高速化、老朽化等により減少の一途をたどり、現時点で現存しているラチス桁は国内で3連(竹野川橋りょう、田君川橋りょう、徳佐川橋りょう(JR山口線))のみであり、架設当時の鋼材不足であった橋梁工事事情を現代に伝える貴重な土木遺産となっている。これまで、ラチス桁は実務的にはやや特殊で、プレートガーダーの代用という評価であったが、再評価されるべき橋梁である。 緯度・経度は竹野川橋りょうを示す。本件のうち一部はNo.422及びNo.430と重複している。 |